世に棲む日日

「おもしろき こともなき世を おもしろく」
これは維新の志士、高杉晋作の辞世の句と言われています。

作家、司馬遼太郎は、
「世に棲む日日(文春文庫)」という作品の中で、
「晋作にすれば、本来おもしろからぬ世の中をずいぶん面白く過ごしてきた、
もはや何の悔いもない、というつもりであったろうが・・・」
と書いています。
世に棲む日日という題名も、この句からつけたようです。

20代後半で「世に棲む日日」を読んで以来、
この「おもしろき こともなき世を おもしろく」という高杉晋作の言葉が、
ずっと私の頭の中から離れません。
私自身の勝手な解釈ですが、
世の中や自分の人生が面白いかどうかは、結局のところは自分次第である、
という意味に捉えています。

その解釈の裏には2つの考え方があります。

一つめは、
世の中が面白くないのであれば、自分の力で面白くしてしまえば良い。
という考え方です。
いわゆる「鳴かぬなら 鳴かせて見せよう ホトトギス」の豊臣秀吉的な発想です。
今の仕事が面白くない、プライベートが面白くない、学校が面白くない・・・
人が生きていくうえで面白くないことは多々あります。
特に仕事においては、面白くないことは多いはずです。

そんな時、織田信長的な発想で、
いっそ辞めてしまうという選択肢もあります。
また、徳川家康的にとにかく我慢して耐えるという選択肢もあるでしょう。
しかし、一番合理的なのは、
その面白くない状況を改善して、面白くしてしまおう、
という秀吉的な発想だと思います。

面白くないからと言って会社を辞めても、
次の会社が面白いとは限らないですし、
面白くなるまで我慢しても、最後まで面白くならないかもしれません。
もちろん、自らの努力で面白くしてしまおうと考え、
努力しても必ずしも面白くなるという保証はありません。
しかし、自ら主体的に動いている分、
その改善や努力の過程を楽しむことが可能なのです。

今、現状が面白くないのであれば、
まず、「何が」面白くないのか?を明確にします。
そして、「なぜ」面白くないのか?原因を追及し、
さらに、その原因は自分の努力で変えられるのか?を冷静に考えることが大切です。
自分に変えられると思うのであれば、
その解決に向けて最大限の努力をすれば良いだけです。
変えられる希望があるわけなので、
その努力の過程を楽しむことが出来るはずです。
そして、その結果、多少なりとも状況が改善するかもしれません。

いずれにしても、
短気を起こして辞めてしまったり、ただただ我慢して耐えるよりも、
よっぽど建設的だし面白くなる可能性は高いはずです。
人任せ運任せにしないで、
自分が主体的に動くことが「面白い人生」の大切な要素なのです。

2つめの考え方は、
世の中が面白くない、しかも、それを自分の力では変えられない、
ならば、いっそのこと「面白がってしまおう」という考え方です。
これは、松下幸之助さんが言ったといわれている
「鳴かぬなら それもまたよし ホトトギス」的な発想です。

自分の意のままにならないことがあっても、
それを現実として受け入れ、逆それを楽しめば良いということです。
完全な精神論だと言われればその通りですが、
そもそも人間は心の持ちようで病気にかかったり直ったりするような生き物です。
昨今、心の病が増えていることも考えれば、精神論を軽くみることはできません。
とは言え、実際に目の前にある「面白くない」ことどもを、
はたして精神論だけで面白がることが出来るのか?という問題があります。
しかし、これが意外と簡単なのです。

私の佐川急便時代の同僚にSさんという先輩がいました。
当時の佐川急便のセールスドライバーは、
早朝から夜中まで休む間もなく働かされていました。
とにかく常軌を逸した重労働かつ長時間労働なのです。
過労死や事故死により、毎年かなりの人数が殉職していると噂されていました。
私自身も、いつ過労死しても不思議じゃないぐらいの極限の疲労状態です。
当然ですが、笑顔も少なくなります。

そんな状況にもかかわらず、S先輩はいつも元気で明るいのです。
いや、私自身も元気よく大きな声は出していました。いつも笑顔を作っていました。
なぜなら声が小さかったり暗い顔をしていると、
上司に「気合が足らない」とか「辛気くさい顔してんな」と、蹴飛ばされるからです。
まるでその筋の人のような上司から怒られるのが怖くて、
何とか元気に振るまい、無理矢理に笑顔を作って働いていました。

しかし、S先輩は違うのです。
いつも心からの笑顔で、本当に体からエネルギーがみなぎるように元気なのです。
もちろん、もともと体格が良く、体力的にタフなタイプの人ではありました。
しかし、当時の佐川急便には、体力自慢や腕力自慢の男たちが集まっています。
その程度のタフさだけでは、S先輩の笑顔と元気の理由には到底なりません。
元プロレスラーや元オリンピック強化選手、
そんな体力自慢の猛者たちでも長続きせず逃げ出すような過酷な労働条件なのです。
私がいた営業所には、当時300名近いセールスドライバーがいましたが、
どんな時でも心からの笑顔でいるような人は、S先輩以外に一人としていませんでした。

そして、このS先輩には新人時代に作った伝説がありました。
当時の佐川急便では、口には出さないものの、
心の中では全てのドライバーが
「出来れば自分のコースの荷物の量を減らして欲しい」と思っていました。
歩合制ではないので、荷物が多くても少なくても給料は変わりません。
つまり荷物が増えれば増えただけ、ただたんに自分がキツくなるだけなのです。

体育会系のノリの会社なので、
自分から「荷物を減らして欲しい」などとは口が裂けても言えません。
しかし、ただでさえ体力ギリギリ、過労死寸前のところで働いているのです。
本音では、自分のコースから1個でも荷物が減ったほうが良いと思っているのです。

ところが、S先輩は、
自分の担当コースすらまだ完全に把握しきれていないような新人時代に、
上司に対して「自分のコースの荷物をもっと増やしてください」と言い放ったのです。
そして、その理由を聞かれ「他の人より少ないのが気に入らない」と答えたと言います。
これは営業所で語り草となっていました。
あとにも先にも、そんなことを言う新人ドライバーはS先輩しかいません。
まったくクレージーとしか言いようがないのです。

そんなS先輩と仲良くなった私は、
ある時、その笑顔の理由を聞いてみました。

「あれだけの大量の荷物と、尋常じゃない仕事の山を目の前にして、なんで、いつもそんなに明るく笑顔でいられるんですか?」

S先輩はこう答えました。
「は? だってお前、暗い顔してたら荷物が減っていくのか? おとなしく黙ってたら勝手に仕事が終わってくれるのか?」

確かにその通りです。ぐうの音も出ませんが、さらに質問しました。

「いや、それは確かに理屈ではそうですけど、こんだけ毎日死にそうなギリギリの状態で、Sさんみたいにいつも笑顔ではいられないですよ。どうしてそんな笑顔でいられるんです?」

それに対してSさんの答えは、
「だって、面白いじゃん。(笑) お前な、こんなに尋常じゃない経験、したくても絶対に出来ねーぞ普通は。だってな、だいたい普通の会社じゃあ労働基準法があるから、こっちがもっと働かせてくれって言っても絶対に人の2倍までは働かせてくれないしな。俺も色んな会社で働いてきたけど、どんな会社でも、だいたい人の1.5倍ぐらいまでしか働かせてくれなかったぜ。それに引きかえ佐川急便は凄いよ。人の2倍も働かせてくれて、しかも、給料は人の3倍払ってくれる。こんな面白い会社は他にないぜ。だから面白いんだ俺は。」

なぜ笑顔でいられるんですか?という私の質問に対して、
答えになっていそうで実は全く答えになっていないワケですが、
それでも、この圧倒的かつシンプルな論理には納得せざるを得ませんでした。
ようするに、本人が面白いと思っているから笑顔でいられるのでしょう。

しかし、不思議なもので、
このSさんの言葉を聞いて以来、
私も佐川急便の過酷な重労働&長時間労働を、
次第に面白いと思えるようになってきました。
いや、正確に言えば、「面白い」のではなく、「面白がれる」ようになってきたのです。

信じがたいような荷物の山、あり得ないほどの仕事の量を目の前にしても、
「凄い!こんな、ビックリするような荷物の山って、
もうバカとしか言いようがないな。凄すぎるぞ荷物くん!」
と、心の中で思うと、なんだか本当に面白くなってきて思わず笑顔がこぼれます。
顔が笑顔になるとなぜか心の中まで楽しい感じになってきます。

そんなバカげた思考遊びを繰り返すうちに、
次第に本当に楽しめるようになってくるのです。

そして、それを続けているうちに、
自分の身に降り掛かってくる大抵のことは、
「面白がろう」と思えば「面白がれる」ことに気付いたのです。

あなたは、きつい仕事、辛い仕事、
あるいは精神的に嫌な仕事などの「嫌われ仕事」を目の前にした時、
「こりゃ面白い!」と、面白がることができますか?

「そんなの無理、できっこない」と思ったあなた。
あなたは正常です。心配いりません。それが普通なのです。

では、質問を変えます。
あなたは、きつい仕事、辛い仕事、
あるいは精神的に嫌な仕事などの「嫌われ仕事」を目の前にした時、
「こりゃ面白い!」と、面白がれるようになりたいですか?

「ハイ」と答えたあなた。
あなたはもう大丈夫です。
明日から、いや今この瞬間から、
私がやったように、「面白がろう」としてみてください。

面白いかどうかは全く問題じゃないのです。
目の前の現象が実際に面白かろうが面白くなかろうが、
そんなことはどうでもいいのです。
大切なのは、あなた自身が、「面白がろう」とするかどうかなのです。

今この瞬間から、私がやったように、
どんなにたいへんな時でも、
どんな難問が降り掛かってきても、
「面白がろう」としてみてください。
そうするだけで、必ず面白がれるようになれるし、
その結果、大抵のことは本当に面白くなるのです。

「おもしろき こともなき世を おもしろく」
高杉晋作の生きた時代は、激動の時代です。
普通の人にとっては、さぞかし面白くないことばかりの世の中だったことでしょう。
そんな時代を高杉晋作は面白がりながら生きた・・・

もしかしたら、現在も幕末のような混沌の時代なのかもしれません。

結局のところ、世の中が面白いか面白くないかは、
洋の東西を問わず、いつの時代でも本人次第ということではないでしょうか。